天台宗 大嶽山興福寺は、仙台藩十霊山のひとつに数えられていたというだけあって、こんもりと茂った老杉の丘にある名刹であります。
詠 人 安達 昭資の母
幾多の焼失で由緒は不明。江戸時代には、伊達家の祈祷所になっていた。現存の建物は、明治21年に5年の歳月をかけて再建されたもので、さらに、昭和41年に屋根葺替改造がなされた。
観音堂の外側の板壁には、中国から伝わった古今の孝子二十四人を選んだ二十四孝の物語が彫り込まれ、その上の欄間には、十二支が彫られて堂の方位が示されている。
嘉永5年の再建。延享4年中興6代慈庸法印代に奉献の梵鐘は太平洋戦争で供出、現在のものは昭和23年に再建されたものである。
観音堂再建の際に地主鎮守の神として白山権現を祀ったと伝えられております。現在の堂は昭和になってから再建されたものである。
1間四方の宝形屋根造りで、由緒不明。安永風土記御用書上に記載されており、明治31年に再建されている。
本尊は薬師如来(座像)である。
建築年代は不明。(宝永年間と推定される)明治17年に仁王尊像(元禄2年左近定遺作)を連座奉安する。大正10年に屋根改造、昭和49年仁王尊修理・土台入替えなどをして現在に至っている。
観音堂の再建に先立ち明治17年に建築される。昭和40年東北大学の横山助教授が伝統を尊ぶ仏堂に洋風建築が加味されていることに注目し、日本建築学会に報告したことから一躍クローズアップされた。昭和51年に南方町から文化財として指定された。
六角堂の隣にあり、観音菩薩参拝客の休憩場所に広く開放されている。
洋風のステンドグラスもあります。
大嶽山興福寺は、自然豊かな環境にあって、藤の花だけでなく、紫陽花や百合の花など多彩な色どりを見せてくれます。
書院は、観音菩薩参拝客の休憩場所に広く開放されています。
洋風のステンドグラスもあります。